
二週間程前、釣りを終えて脱いだウェーダーを乾かしていると、上流から軽バンが下りてきた。
私が釣りを終えて川から上がり、戻って来る途中では見かけなかった車だった。私が釣った流域より上流から来たのだろう。
川沿いの林道は今駐車している場所から300メートル先で、鎖と錠前で封鎖されており、山仕事か工事関係者しか進入する事は出来ないはずだった。
釣れたか、と訊いてきた車の爺さんは年の頃は七十前後で、痩せてはいたが壮健な感じがした。
大して釣れなかった、と答えると、昔は一杯魚がいたんだ(この言葉で爺さんが釣り人ではないことが知れた)、と懐かしそうに語りだした。
話を聴くとこの爺さんは山仕事や工事関係者ではなく、昔この川の上流にあった集落の出身者とのことであった。
行ったことはなかったが、地図によれば4、5キロ先に谷が少し開けた所があり、昔は集落があったのだろう。しかし、今は国土地理院の地図にも建物跡の記載が無いため、廃村になったのは半世紀以上前だろう。
爺さんの子供の頃の話を聞きながら、自分自身の子供の頃を思い返した。
ここほど山の中ではなかったが、川にまつわる思い出には大した差はない。川に棲む魚がイワナか、フナかの違いくらいだ。
爺さんは定期的にここを訪れているようだった。今も廃集落の周りに先祖伝来の山林や田畑があるのかも知れない。
今回は爺さんの語っていた故郷の集落跡近くまで釣り上がった。
川は細くなったり、広くなったりを繰り返しながら続いており、ボサはあるもののフライフィッシングは可能だった。
魚の出はソコソコで、爆釣とは行かないが、ポツポツと釣れ続いた。
釣り人は多くないまでも一定数入っているようだった。

釣りを終えて林道に上ると、以前より整備されて、車も通りやすそうになっていた。
林業のために整理しているのだろう。ただ、この先に思い出のある人々に報いるために整備されているとも思えた。
そのような気遣いがあるような気がして、心が少し軽くなった。
人知れず谷筋に残る人々の想いの残照を見た気がした。
(202506)